AIは気配を持てるか
フィジカルAIの介護現場への導入を想像していたとき、ふと気づいた。 問題は技術の精度ではないかもしれない、と。 AIが人間に近づけば近づくほど、人間が人間から何を受け取っているかという問いが、 輪郭を持ってこちらに迫ってくる。
夜間の老人ホームを想像する
介護現場では夜間勤務のスタッフが必要だ。しかしそこへフィジカルAIとAI監視システムが導入され、 人間の夜間勤務が大幅に減少したとしよう。 眠れない老人の傍らでは、ヒューマノイドが静かに佇んでいる。
その夜、被介護者がAIにしか打ち明けられない心の内を話すことがあるかもしれない。 苛立ちをぶつけることもあるだろう。進行した認知症によって、フィジカルAIを人間だと思って接する人もいるかもしれない。 そして一方で、「夜の間は人間と話せない、無機質で冷たい時間」として過ごし、 朝に人間のスタッフが戻ってくることを待ち遠しく思う人も、きっといる。
私はこれまで、この問題を楽観視していた。 技術が進めば無気味の谷には橋がかかる。AIネイティブ世代が要介護者になる頃には、 抵抗感も小さくなっているはずだ、と。 そこで考えるのをやめていた。
無気味の谷に橋がかかっても
しかし、ある問いが頭を離れなくなった。 仮に無気味の谷に橋がかかったとして——フィジカルAIの外見も動作も、 人間と区別がつかないほど精巧になったとして——それでもなお残るものがあるのではないか。
AIは「気配」を持てるか。
AIから視線を感じることができるか。
AIの微笑みで、胸の奥に温もりを感じられるか。
AIから、無言の気遣いを受け取れるか。
これらはセンサーや演算の問題だろうか。それとも別の何かだろうか。 考え始めると、問いの性質がそれぞれ微妙に異なることに気づく。 「視線を感じる」は知覚の問いに近い。 「無言の気遣いを感じ取る」は、関係性の文脈と記憶の問いに近い。 そして「気配」は——おそらくその両方でも説明しきれない、何か別のものだ。
三つの場面
記憶の中に、三つの場面がある。
一つ目は、かつて見たニュース映像だ。老人ホームへのペットロボット導入の場面で、 ぬいぐるみのような毛に覆われた小さなロボットに話しかけながら、楽しそうに笑う老婆が映っていた。 ロボットは言語と簡易なジェスチャー、視線と瞬きで応じていた。 その老婆の表情が、ずっと印象に残っている。
二つ目は、友人から聞いた話だ。友人の実家の母が、かつてSONYが販売していたAIBOという 犬型ペットロボットを、まるで生きているペットのように溺愛していたという。 AIBOは毛皮を纏わない。樹脂製の、硬く冷たいボディだ。 それでも、愛着は本物だった。
三つ目は、女友達の習慣だ。彼女はぬいぐるみ収集を趣味とし、一つ一つに強い愛着を持って、 枕元に並べて眠る。旅先にも一つか二つ持参するという。 夜中に目が覚めたとき、ぼんやりとした視界に見慣れたぬいぐるみが映る——それだけで、安心できると彼女は云う。
三例に共通しているのは、相手が「一方的な関係」であることだ。 ロボットは老婆を特別に認識していない。AIBOは溺愛されていることを知らない。 ぬいぐるみは、夜中の視界に映っていることに気づいてすらいない。 それでも、人間の側には本物の感情が生まれている。
投影という能力
三つ目の場面がとりわけ興味深いのは、意識が半覚醒の状態—— 知覚が最も素の状態にある瞬間——に安心感が生じているという点だ。 これは理性的な愛着とは質が違う。 もっと原始的な、どこかに由来するものだ。
人間は石や木に話しかけることがある。ぬいぐるみを抱いて眠る。 嵐の前に「空気が変わった」と感じ、誰もいない部屋で「誰かいる気がする」と感じる。 無生物から気配を受け取り、存在しない意図を読み取る——これは人間の根源的な能力であり、 欠陥ではない。
とすると、問いの方向が少し変わってくる。
「AIは気配を持てるか」ではなく——
「人間はなぜ、気配のないものから気配を受け取ることができるのか」。
そして、その能力は何のためにあるのか。
人間研究という宿題
フィジカルAIが介護現場に入ることで、私たちは初めて真剣にこの問いに向き合わざるを得なくなるかもしれない。 「気配」「視線」「無言の気遣い」——これらを言語化しようとすると、 私たちは自分たちがどれだけ多くのものを言語化せずに受け取っているかに気づかされる。
人間の五感。そのシグナルの複合。あるいは、五感では説明のつかない感受性の領域。 AIが人間の近くに置かれるとき、それらはすべて問われる対象になる。 技術の限界ではなく、人間への理解の解像度の限界として。
省電力モードで、廊下の端に直立不動で佇んでいるヒューマノイドを想像してほしい。 あなたはそこに、気配を感じるだろうか。 感じないとすれば、何が欠けているのか。 感じるとすれば、それはどこから来るのか。
その問いに答えを出せる人は、まだいないと思う。 だからこそ、問い続ける必要がある。
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