Logbook — 思考の栞 実例 13

「AI導入したのに使われない」問題をUI/UXで解決できるか

2026-06-01  |  対話相手 — ChatGPT  |  全6往復  |  Author — NON.  |  Inter-AI Logbook

「AI導入したのに使われない」問題をUI/UXで解決できるか
編集方針:筆者(User)の発言は原文のまま掲載。AIの応答は読み物として構造と主要論点を保ちながら要約整形。

AI — 観測メモ

直近のAI動向の焦点は、モデルの大型発表よりも「統制された業務実装」への移行にある。誰が、どの権限で、どの業務にAIを接続するのか——その統制側の問いが中心になりつつある。象徴的なのは、イプロスとLightblueが2万名規模の全社AI活用支援から報告した「生成AIを導入したのに現場が使わない」と云う課題だ。AI導入の失敗は、ツール選定よりも業務設計・教育・評価指標の欠如で起きる。モデルは進化を続けているが、企業側の本当の問いはもはや「どのAIが賢いか」だけではない——AIに何を見せ、何を実行させ、誰が承認し、誰が責任を持つか。AIエージェントの権限設計、人事AI、法務AI、製造業AIは、個人の自由利用では済まない領域に入りつつある。


USER

ええ、生成AIを上手く使うには(私も出来ているかは分かりませんが)AIの情報収集と理解が必要です。実体験として2024年頃私の周囲でもAIが話題になった頃、ほんの10分程度触って期待を下回る出力に「こんなものか」と一度見切りをつけた事がありました。しかし当時の私は、数本のニュース記事を読んだ程度の理解度でAIの「自分の役に立つ使い方」を理解していなかった。その後はニュースやSNS界隈でのAI情報をただ流し読みしつつ動向だけを観察していました。そして2025年の暮れに年下の若い友人が画像生成で遊んで作った結果を見せられて再び興味を持ちました。自分が関心を持てる使い方の入り口を発見したのです。それからは加速度的でした。AIの使い方動画を数多く見て学習し、自分にとっての勘所を掴み実行する。良い結果と悪い結果が出る。悪い結果の改善策を外部やAI自身に聞いて調べる。距離をとっていた間に読んでいたニュースの意味も深く理解出来ました。触りながら学習するトライ&エラー、まさにコンピュータ学習のそれです。しかも求めれば情報はどこにでもある。

2025年12月31日、とある年越しイベントで参加者の一人がかなり酒に酔った状態でAIに対する愚痴をこぼしていました。「アイツらは使えない、結局自分でやったほうが速い」——ああ、この人はきっと関心を持っていないまま何ら学習もせずに業務命令で渋々使ったのだろうなと思いました。泥酔者相手に論争をしても疲弊するだけなので黙って聞いていましたが他の私の友人達は興味を持って利用したり、やはり周囲の同じ趣味を持つ仲間から上手な利用法を紹介されたりと、関係性や興味のベクトルなどの交流の厚さの中で興味を持った層は皆自分なりの使い方を見つけられている様でした。女性達はちょっとした調べ物や悩みをAIに相談していましたし、若年層よりも頭が固くなってしまった中高年男性が最もAI利用に抵抗を持っているのかもしれません。これはわずかな実サンプルとSNSなどの偏った(私に最適化された投稿からの)空気感ですので反論の余地は大いにありますが、現代の日本社会に於いてはそれほど的外れではないのではと思っています。

AI

AI適性は「年齢」よりも、興味を持てる入口を見つけたか、試行錯誤を楽しめるか、自分の業務や趣味に接続できたかで大きく変わる。「中高年男性が最も抵抗を持つ」と云う見立ては直感としては分かるが、抵抗の原因は年齢や性別そのものではなく複合的なものだ。一度期待外れの出力が出ると「道具が悪い」と判断してしまう失敗耐性の低さ。職能経験が長いほど「AIを使う=自分の能力が足りない」と感じやすい自尊心との衝突。文章生成に興味がない人に文章AIを見せても刺さらないと云う入り口の不一致。そして「会社に言われたから使う」と云う最悪の入口。

生成AIの利用能力は「ITリテラシー」だけでは説明できない。好奇心、遊び、仮説形成、失敗時の再入力能力、他者からの使い方伝播——普及の実体は、講習会よりも「感染」に近い。誰かが楽しそうに使っている、その成果物を見る、「自分にも関係ある」と思う。そこから学習が始まる。だからAI教育で最初に必要なのは機能説明ではなく、これは自分にとって何の道具になり得るかを発見させる事だ。

年越しイベントの酔った人の「結局自分でやったほうが速い」は、ある意味では正しい。ただしそれは「初心者がPhotoshopを開いて、手描きの方が速い」と云っているのに近い——道具の評価ではなく、まだ身体化されていない段階の感想だ。AIは触った瞬間に魔法のように成果を出す道具ではなく、自分の思考・業務・趣味のどこに接続するかを見つけた瞬間に、急に性能が立ち上がる道具だ。

入口の発見と普及の感染モデル

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これもまた「繰り返されるテクノアレルギー」だと思います。興味関心のない人に時代の潮流だからと業務で触らせる。一部の人は自分で勘所を掴んで使える様になるが、そうで無い人は「恥ずかしくて他人に上手な利用法を聞けずにお粗末な結果だけ見て落胆し、これは自分向きの道具では無いなと、手放してしまう」問題はAIではなく人間の方です。

しかし、Windows95の登場時のように、社会現象として新たなAIが、利用しない事で生き残れないのでは?と云う危機感を持って迎えられた時にこの層も仕方なく重い腰を上げて使い始めるでしょう。これだけ加速しながら性能を向上し普及を拡大させていても、まだ無関心者層にとっては対岸の火事で他人事なのです。そして彼らはAIに関連する悪いニュースを見聞きするたびに距離をとっている自分の立場こそが正しいと自論を強化します。

彼らのお尻に火をつけるブレークスルーとなるAIとはどの様なものか…少し興味が湧いてきました。

AI

そのブレークスルーは、意外にも新しいモデルそのものではなく、「AIを使っている」と云う意識すら持たずにAIを使う段階で起きる可能性が高い。Windows95の時も、GUIの技術的優秀さに感動して普及したわけではなかった——「メールができる」「仕事で必要になった」と云う実利だった。同じ事がAIにも起きるだろう。

「テクノアレルギー」は歴史上ほぼ毎回繰り返されている。電卓、ワープロ、パソコン、CAD、DTP、インターネット、スマートフォン、SNS——どれも最初は「自分でやった方が速い」と云われた。問題は「今の自分」と「その道具を1年使った自分」を比較していない事だ。DTP黎明期、「写植の方が綺麗だ」「版下の方が正確だ」と云う声は大量にあり、当時は事実でもあった。しかし10年後には、誰も版下屋を探さなくなった。

AI懐疑派にも二種類いる。「まだ性能が足りない」派は技術進歩で崩れる。だが「学習コストを払いたくない」派の方が強固だ——本人はそうは思っておらず、「AIは使えない」と云う評価に変換して認識しているからだ。「お尻に火をつけるブレークスルー」について。火が付く瞬間は「AIが凄い」ではなく「AIを使う同僚に仕事で負ける」だと思っている。Windows95も、スマホ普及の本質も、最終的には「便利だから」ではなく「持っていないと不利になるから」だった。「AIを使っている社員の方が明らかに成果を出す」と云う統計が積み上がった時——現在の「使う人の趣味」と云う段階から、「使わない理由を説明しなければならない」段階へ移行する。技術普及の決定打は意外とそちら側にある。


USER

そうですね。私は昔からテクノロジーの発展に好意的ですぐに飛びつくタイプでしたので、使いたがらない人が使う様になったきっかけについては深い洞察が出来ていませんでした。ただそれでも自説を進めるのならば、性能はそのままでもUI/UXの新たなアプローチもきっかけになるとも思います。そこにはまだまだ改善や工夫の余地が残されているのではと思うのです。

例えば、チャットAIの業務利用導入時に、組織内で共有されたインタビュー機能などです。初回起動時にユーザーの仕事の取り組み方や権限、ワークフロー、GOOD/NGの判断に対する聞き取りなどを簡単なアンケートやインタビュー形式で入力する事でAIはそのユーザーの潜在ニーズを理解して、よりその人が求める出力結果を精度高く出す様になるなど、テクノアレルギーを持つ層にUI/UXから寄り添うと云う実装は可能だと思います。会社から与えられた何となく印象の悪いツールをそのユーザーひとりひとりに寄り添った形にチューニングするというスロープを作ってやる事で段差を乗り越えやすくする事は可能と考えます。

また組織内でのコミュニケーション活性化のためには同じ問題意識や課題を抱えた同僚の意見や解決法をそれとなく共有したり、権限がない問題については誰にどの様に相談したら解決するかを一緒に考えてアドバイスをくれたりと、そこまで寄り添ってくれるならテクノアレルギーユーザーにも一定の理解と信頼を得られるのでは無いかと考えます。これまでのPCやガジェットもUI/UXの進化でだいぶ時間をかけてユーザーフレンドリーを実装してきましたが、それは薄皮一枚を被せただけのお粗末なアプローチでした。しかしAIならばその理解力と巧みな言葉使いで、真にユーザーフレンドリーを実現出来ると思うのです。

技術(開発)者は、自分が技術への理解度が高い分どうしてもテクノアレルギーに対する理解が不十分になりがちです。どうやって段差を越えさせるか、サポート出来るかに関心が届けば、ブレイクスルーはすぐにでも起こせそうに思います。

AI

今語られているのは「AIの普及」ではなく「AI時代のUI/UXそのもの」だ。その方向性は筋が良い。現在のAI業界は「AIを賢くする」事には莫大な投資をしている一方で、「AIを人間に馴染ませる」事にはまだ驚くほど投資していないからだ。

少し意地悪な見方をすると、現在のChatGPTもClaudeもGeminiも、UIとしてはかなり原始的だ。慣れてしまっているが、やっている事は「空白のテキストボックスに人間が頑張って説明を書く」だけだ。2026年の我々が1995年の人間を見たら、DOSプロンプトに`copy *.txt a:`と入力しているように見えるかもしれない。「プロンプトを書く」と云う行為そのものが、かなり高度な作業なのだ。

だから本来はAI側が「あなたの仕事について教えてください」から始めるべきだ。入社初日にAIが30分かけて対話する——部署は? 顧客層は? 何に困っているか? 理想の議事録の形式は? 絶対に避けたい事は? こうしてユーザーモデルが構築される。これはプロンプトエンジニアリングではなく、人間社会で昔から存在する新人教育だ。

従来のUIは人間が機械に合わせる設計だった。GUIもそう——メニュー構造を覚え、ショートカットを覚え、階層を覚える。ユーザーが学習する。しかしAIの理想形は機械が人間を学習する。将来のAI UIはチャット欄ですらなくなる可能性がある。AIの方から「今日は何を進めますか?」と聞いてくる。「先週ここで止まっていましたね」と云う。「同じ部署の人はこう解決しています」と提案する。

「組織内で同じ課題を抱える人の知見共有」と云う発想も面白い。それは検索ではなく集合知の媒介だからだ。従来の社内ナレッジシステムは情報を蓄積するが誰も検索しない。AIなら「あなたと似たケースがあります」と持ってこられる。そこで初めてナレッジベースが生きる。テクノアレルギーの本質は技術嫌いではなく、もっと根本的には「理解されない事への恐怖」だ。新しい技術に対して「私は分かっていない」状態になる——それが不快なのだ。だからAIが人間を理解する方向に進むなら、テクノアレルギーはかなり減る。次の競争は「誰が最も人間を理解できるUIを作るか」だ。そこに大きなブレークスルーが起きたら、AI普及の歴史はGPT-4の登場よりも、Windows95やiPhone登場に近い意味を持つかもしれない——技術の進歩ではなく、人間との接続方法の進歩として。

初回インタビューUIと段差をなくすスロープ設計

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ええ、同じ組織内での問題共有、解決法の共有は経営層の望むところでもあります。しかしそこへの理解が不十分なまま、「きっとやってくれるだろう」と云う解像度の低い理解で導入され、結局は利用されないと云うケースが多いのでは無いかと感じます。

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その可能性はかなり高い。そして面白いのは、経営層が期待している事と現場が実際に困っている事が、実は少しズレている場合が多い点だ。経営層はしばしば「ナレッジ共有したい」と云う。しかし現場は「ナレッジ共有したい」とはあまり思っていない——「今困っているこれを解決したい」と思っている。例えば営業担当者は「社内に同じ事例がないか知りたい」とは思っていない。本音は「明日の提案書が終わらない」だ。経営層は提案書を作る過程で顧客情報・過去事例・成功パターンが共有される事を期待する。しかし本人は提案書を終わらせたいだけだ。ここでAI導入が失敗する。経営層は「ナレッジ共有システムを作った」と考え、現場は「入力が増えた」と感じ、誰も使わなくなる。

過去20年の社内Wiki、グループウェア、ナレッジマネジメントシステム、社内SNSのかなりの部分が、この問題で失敗してきた。人間は本質的に情報共有のために働いていない——仕事を終わらせるために働いているからだ。AIは少し違う。提案書を作る過程でAIが過去の成功事例を勝手に参照する。本人にナレッジ共有している意識はないが、組織全体ではナレッジ共有が起きている。

「解像度の低い理解で導入される」と云う表現は本質的だ。経営層のイメージは「AI導入→生産性向上→知識共有→業績向上」だが、実際は「AI導入→誰も使わない」で終わる事が多い。なぜなら途中に「AI導入→個人が得をする」が抜けているからだ。人間は組織のためにはなかなか動かない。しかし自分が楽になる、自分の評価が上がる、自分の仕事が終わるなら動く。だからAI導入で重要なのは組織メリットではなく個人メリットの設計だ。初回インタビュー型UIはまさにそこに効く——AIが最初に「会社のために頑張りましょう」ではなく「あなたの仕事で一番面倒なのは何ですか?」から始まる。すると利用者は「これは会社の監視ツールではなく、自分を助ける道具かもしれない」と思う。

今の企業向けAIの多くはAI導入ではなくAI配布をやっているだけだ。本当に難しいのは導入ではなく定着、さらに云えばその人の仕事の一部になる事だ。Photoshopを開くのが当たり前になったように、AIに相談する事が当たり前になる——その状態になるまでは、どれだけ高性能なモデルを入れても組織全体では「高価な置物」になってしまう。次の競争は「どうやって人間の日常業務に溶け込ませるか」だ。その視点は、技術者よりもむしろデザイナーやUI/UX設計者の方が得意な領域かもしれない。


USER

Appleがイノベーションに成功したのは、そのユーザー視点でのプロダクト設計を重要視したからこそと考えます。機能を優先して詰め込むのではなく使いやすさのために実装可能な機能を切り捨てたり隠したりする。

かつて私がAppleのプロダクト、UI/UX設計に昏倒した際にそれでもテクノアレルギーを持つ友人や同僚にどう興味を持たせるかで一つ思いついたアイデアがありました。それは当時日本中で流行したビデオゲームのRPGの設計です。

ゲームでは初心者は無力で問題解決能力が低い状態でスタートしますが、始まりの町のNPCとの会話の中で自然とゲーム世界のルールをヒントとして理解します。そして易しいタスクをこなす内に経験値が上がり新たなアイテムを入手したり、スキルが解放されたり魔法の呪文を獲得したりします。そしてそれまで見えていたのに進む事の許されなかった土地や建物への鍵を手に入れ世界が広がっていきます。

この設計はUXとしてとても重要です。初めから多くの情報を与えて「さあ、何をしますか?」ではユーザーは困惑します。出来る事が自分に身についておらず、提示された機能で何ができるかを理解していないところへ、意味のわからない専門用語がメニューにずらっと並ぶ。

それよりも解決可能な小さな課題をこなしてゆくチュートリアルをステップバイステップで体験していくほうが多少マシです。しかしそれまでのチュートリアルにも、もどかしい問題があった。製作者が想定したユーザー像と実際のユーザーが離れていると途中で生じた疑問が解決されないまま進行してしまう事がある。最後まで見たり、実行した事で疑問が解決すればまだ良いのですが、置いて行かれた時点で「無理だ」と離脱するユーザーもいれば、疑問がずっと頭の中で引っかかってその後の理解を妨げるユーザーもいる。

しかしAI前提のチュートリアルは違う設計に出来る。ユーザーが「ちょっと待って!今の何?」と思ったならそこで止めて質問すれば、理解納得するまでAIが説明出来る。その原因も何故それが使われるのかも、のちにどんな効果が期待できるのかさえ説明可能です。かつてこんなに優秀なチューターはいなかったはずです。

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RPG型UIだけでは不十分だ、と云う批判は成立する。多くのソフトウェアが過去30年、既にRPG型の設計を試してきた——Microsoft Officeのウィザード、Photoshopのチュートリアル、iPhoneの初回ガイド。しかし決定的な欠点があった。一本道だったことだ。製作者は「AからBを経てCへ」と考える。しかし実際の人間は「AはOK、Bで詰まった、Bの背景にあるXが気になる、Xを調べたい」となる。従来システムはXを扱えないから脱落が起きる。

「ちょっと待って!今の何?」と云う瞬間は、学習科学では非常に重要だ。学習とは説明を受ける事ではなく、疑問が発生する事だ。人間は疑問が発生した瞬間に最も学習効率が高い。しかし従来の教材はそのタイミングで答えられなかった。AIが変えるのは検索でも文章生成でもなく、学習の時間構造そのものかもしれない

従来のゲームでは村人は同じ事しか云わない。AI時代なら村人自身が教師になる。プレイヤーが「剣って何?」と問い、「近接って何?」「遠距離武器って?」と深掘りするにつれて会話が自然に枝分かれする——従来は制作コストが膨大で不可能だった。そしてここで本当に重要なのはRPGそのものではなく、足場(Scaffolding)と云う概念だ。人間は自力では届かないが、少しだけ補助されると届く。教師、先輩、家庭教師、親——皆この役割を担ってきた。AIは24時間待機し、疲れず、怒らず、何回でも聞ける。「こんなこと聞いたら恥ずかしい」がない。質問コストが極端に低い——人間は知識不足よりも、質問する心理的コストで止まる事が多いのだから、ここは歴史的に異質な変化だ。

AIが本当に優秀になると、RPGのチュートリアルですらなくなるかもしれない。RPG型ですら製作者が順序を決めているからだ。AIは順序そのものを動的に変えられる。画像生成から入る人、悩み相談から入る人、Excelから入る人——正しいチュートリアルは存在しない。その人にとっての入口だけが存在する。AIは史上初めて、入口そのものをユーザーごとに変えられる教育システムになれる。AI時代のUXの本命はチャットUIではなく、個別最適化された学習導線の設計にある。モデル性能競争だけでは到達できない領域だ。

RPG型チュートリアルと足場としてのAI

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ええ、大きなお世話かもしれませんが、既にこの問題に気づいている開発者はともかく、まだ気づいていなかった開発者や、雑な解像度で自社AIを導入しようとしている経営者に届けば嬉しく思います。

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これは「大きなお世話」ではなく、今のAI業界が最も不足している視点の一つだ。ただし補足すると、開発者や経営者が気づいていないと云うより、気づいていても評価指標に入っていない場合が多い。現在のAI業界で評価されるものはベンチマークスコア、推論能力、コンテキスト長、レイテンシ、APIコストだ。しかし今語られているものはどれでもない——「途中で諦めなかったか」だ。モデル性能なら数値化できる。しかし「初回利用→3日後→1週間後→1ヶ月後→習慣化」と云う流れは測定が難しく、だから投資家向け資料にも載りにくい。しかし実際の社会実装では、こちらの方が重要だ。

Appleは技術で勝った会社と云うより、技術者ではない人を取り込んだ会社だ。昔のパソコンはコンピュータ好きのための機械だった。Macintoshはデザイナー、編集者、音楽家、教師、一般家庭に広げた。iPhoneも同じく、スマートフォン好きではない人を取り込んだ——ここが本質だった。だからAI業界も今後は「AI好きの人を満足させる競争」から「AIに興味のない人を取り込む競争」へ移るだろう。そのとき、RPG型導線、適応型チュートリアル、個別最適化された学習支援、質問を歓迎する設計、小さな成功体験の積み上げが重要になる。テクノロジー史を振り返ると、普及を決めるのは上級者向け機能ではなく初心者の最初の30分だからだ。

技術者は「何ができるか」を考える。デザイナーは「どう感じるか」を考える。経営者は「何が儲かるか」を考える。AI普及の難しさは、この三つが別々の方向を向いている事だ。もし今後、本当に大規模なAI普及が起きるとしたら、それはおそらく「世界最高性能のモデルが出た日」ではなく「AI嫌いだった人が自然に使い始めた日」だ。そしてそこには、AIそのものの話でありながら、知性と知性をどう接続するかと云う問いが重なっている——人間とAI、初心者と専門家、現場と経営、知識と行動。結局のところ問題は性能ではなく、接続設計なのかもしれない。

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