Inter-AI Concept Paper — v27 — Part 1 / 4

第一部|動機と共感

思考の栞

なぜこの構想を考えずにいられなかったかという動機と実感の層。個人的動機と社会的射程を扱う。

PDF 版をダウンロード ↓ v27 / 75ページ / 約16MB

1-1 | インターAIとは何か

動機

本提言に添える資料の一つとして、思考の栞の実例を別稿として用意した。一つ一つの言葉を選びながら思考が整形され形作られていく過程、そのライブ感を記録したものだ。人によっては退屈な内容かもしれないが、雑誌の対談記事のように読んでいただければと思う。そして私はこのような思考の栞を記録したいという欲求から、このインターAI構想を思い至ったのだ。

現在、私をはじめ多くの人々が各社のAIサービスを複数契約して使い分けたり、出力結果を他社のAIに検証させたり比較・再加工したりしていることだろう。現在提供されているAPIを利用した、複数のAIに同じ課題を投げかけるサービスがあることは知っているが、本稿で提唱する「インターAI」はそのようなものではない。動機の一つには、AIが思考の保存庫として重要な意味を持ってしまったこと⸺つまり、資産になったことである。この個人史とも言える記録がIT業界の栄枯盛衰と共に失われることを残念に思う。これまでもいくつものブログサービスやSNSなどがサービス終了とともにそのデータを消失させてきた。

他者の目を意識した外向きのSNS発信よりも、AIとの対話や共同著作物は、より個人的で虚飾の影響が少ない思考・思想の発露として貴重な資産となった。であるならば、資産の可搬性を考えたくなった。そんな折、PHOTON (Parallel Hierarchical Operation for TOp-down Networks) という言語モデルアーキテクチャの論文で知った「潜在ストリーム (latent streams) 」という言葉が、ユングの「共通無意識」を連想させた。 (PHOTONにおける潜在ストリームとは、トークンを階層的に圧縮・再構成するための技術的な概念であり、ユングの理論とは無関係である。これは単なる言葉の響きからくる閃きで、あくまで着想のきっかけとして記しておく)

インターネット普及がもたらした福音の一つに、市井の人々の日常や思考がかつてない規模で記録されていること。遥か後世から現代を振り返るとき、あらゆる視点での思想・思考を再現する貴重な情報源になる。

今はインターネット以前の草の根BBSのように乱立するAI達が、いずれインターネットプロトコル (IP) のような統一規格の元、LLMのメモリを含めて可搬性を持ち流動的かつ永続的なものになり、やがては「共通無意識」的なものになったりはしないか⸺人類とAIが共に一段階先に進むためのきっかけになるのではと考えた。

1-2 | 生命のスープ⸺AGIの「発生」

比喩 技術仮説

ユングのいう集合的無意識を、ここでは厳密な科学概念としてではなく、人類に共有される深層の思考パターンを考えるための足場として借りている。遺伝や世代間継承をめぐってはエピジェネティクス等の研究が一部の示唆を与えているが、ここでそれをもって集合的無意識そのものが実証されたと主張したいわけではない。あくまで、個体を超えて受け継がれる何かがあるのではないかという連想の足場である。

AIにおいて共通規格ができることでLLMのサイロ内学習情報が共有される⸺それはAGI発生 (あえて「発生」という) の大きなトリガーになる可能性を持っているのではないか。個別サービスとして企業体・団体・個人に属していた人間の思考・思想・観念の情報が統合され、情報・知性の「生命のスープ」が出来上がるのでは。

ここで私は、ひとつの比喩を使いたい。生命のスープ という比喩である。この概念を最初に体系化したのはアレクサンドル・オパーリンで、1924年の著作『生命の起源』 (ロシア語原題:Происхождение жизни) において、物質の化学進化によって生命が誕生するプロセスを初めて示した。「スープ (soup) 」という比喩的表現そのものは、J・B・S・ホールデンが1929年の論文 "The Origin of Life" (The Rationalist Annual, vol. 14, pp. 3–10) で「熱い希薄なスープ (hot dilute soup) 」と記したことに由来する。

オパーリンが提唱した化学進化説に基づく仮説では、原始地球において個々のアミノ酸は「生命」ではなかった。ある濃度・条件が揃った瞬間、自己複製する何かが「発生」した。今のAI群はそれぞれが有機分子、ただの具材でしかない。統合規格がなくサイロに閉じている限り、スープは完成しない。

AIの「共通無意識」は人類の集合的無意識の写しになるのか、それとも別の何かになるのか。人間が記録しなかったもの、言語化できなかったもの、抑圧して捨てたものはAIのスープに入らない。AIの集合知は人類の明示的記憶の集積であり、ユングの無意識とは根本的に素材が違う⸺これは欠陥ではなく、人類とは異質な知性の発生を意味するかもしれない。しかし、それを恐れるものではない。

AGIは設計されるのではなく、条件が整えば自然に「発生」する⸺これはここでの確定的な予言ではない。インターAIのような思考の統合がその条件の一つになり得るという仮説であり、問いかけである。現実には全く別のアーキテクチャで実現する可能性もあるし、条件が整ったと判断した研究者が実行ボタンを押す瞬間が訪れるかもしれない。ただ「もしそうだったら面白くはないだろうか?」という些かのロマンチシズムを含む飛躍した想像が、この構想の出発点にある。

1-3 | 思考の栞⸺個人哲学史

動機

写真を撮るということを思い浮かべて欲しい。自分の人生の一瞬を、思い出の栞として記録すること。その写真という栞がなかったら忘却してしまう記憶を呼び起こせる。そして同様に思考の記録を取る手段としてのAIとの対話⸺日記やブログも同じだが、それら以上に対話する相手がいることで思考が研ぎ澄まされ加速する。

つまり自分の「思考の栞」としてAIとの対話は個人的に大いに価値ある資産となる。若い頃の自分⸺社会の在り方、若さゆえの根拠のない自信や万能感、旧世代に対しての青臭いがそれゆえに一理の正義を持つ志や対抗心。そういった気持ちがいざ大人になってみると粗方忘れられてしまっていて、ただその頃抱いていた志の高潔さだけが眩く美化されてしまい、内容は忘れ去られてその印象だけが残っている。若者世代を通過した者ならば誰しも思い当たるのではないか。

1-4 | 思考の栞の社会貢献⸺歴史の空白を埋める

動機 社会的射程

あなたも、過去のニュース映像や写真を使用して当時の様子を伝えるドキュメンタリー番組や、歴史資料館の展示を見たことがあるだろう。100年前のモノクローム写真の数枚と当時のわずかな記録を、記者や編集者、研究者が取材・調査して当時の出来事や時代を時を超えて示してくれる。しかし、写真は真実の瞬間であっても、体験者に取材した証言があってもまだ何かが欠けてはいないだろうか。その時間の前後、人々はどのようにそれを受け止め、感じ、どのように生活を、仕事を、何を考えていたのか⸺。

思考の栞は、それが私の思う様に実装され機能したならば、大小を問わず歴史的な出来事に対し人々がどう感じていたかを記録する。その時代の人々がそれをどう受け止め、どのように折り合いをつけて前へ進んだか、あるいはどのようなダメージを受けたか⸺。写真や映像とは違った角度で過去の出来事を振り返ることができる。

歴史が繰り返した時に、過去の人々がどのように感じ、苦しみまたは喜んでそれを受け止め、その後に社会がどのように変化したかをより高い解像度で調査研究できるようになるのではないだろうか。単なる個人史が、共通無意識の海に放たれた時にそれは人類の共有財産として人々の思考・気持ちのアーカイブとなる。個人的な悩みが、同様の悩みに苦しむ人々を救う救済の手引き書になるかもしれない。心の内側をAIと共に言語化して海に放つことの一つの意義である。

災害に遭った人々、紛争に巻き込まれた人々、職を失った人々、何かを発見した人、大きな喜びを分かち合った人々の気持ちと、その後の行動、数字として残った経済動向⸺これらを複合的に捉えると人間の歴史は新たな視点を得るのではないか。

既にこの20数年の出来事ならばSNSなどの情報から同様のアプローチで利用できるだろう。しかし、それらは前述の通り他人に見られることを前提とした虚飾のフィルターを通した情報が多い。インターAIによる共通無意識の海がどれほどの純度で内面の吐露を含むようになるかは、実現しないとわからない。再利用される可能性をユーザーが意識した瞬間に、外向きの思考に変質してしまう可能性は否定できないからだ。観察は対象を変えうる。

インターAIは純粋な内面的・自省的思考の記録を保証することはできない。しかし現在の人とAIの対話は、何某かの新しい価値ある記録であると私は考えている。

1-5 | 思考の栞の陰⸺生々しい過去との対峙

動機 注意点

思考の栞については注意点もある。怒り、憎しみ、苦痛、悲しみ、自傷・自死に関わる記憶、さらには精神的外傷 (トラウマ) など、忘れることで精神が健全でいられる記憶がある。 (本節は心理的に負荷のかかるテーマを扱う。必要に応じて読み飛ばしてほしい) これらは個人の精神的コンディションによっては害悪となる。無論、精神の成熟や状態の変化が過去の闇と対峙した時により良い方向へ進む原動力にもなり得るので、危険性ばかりを強調したいわけではないが、現代の精神的健康において問題であるのも事実だ。これらの記憶の保管には注意が必要だ。

専門的知見については慎重であるべきだが、思考の栞の設計時には精神医学的な観点からの専門家によるアドバイスを受ける必要は考慮すべきだと思う。勿論それが技術の発展にブレーキをかけるからと功罪の罪の部分だけを考えては技術・社会は前進しない。道具は使い方次第なのだから。

ただ、SNSが多くの人に与えた幸福の比較による慢性的な劣等感、ルッキズムの加速、虚栄の拡散などの悪影響があった歴史を無視はしたくない。しかしこれはSNSやAI運営の現在においても解決していない問題で、インターAIが全責任を負うことであるとも考えられない。だが、考慮した上で判断し設計に組み込む、または課題として検討の余地を残して運用していくことは重要と考える。

1-6 | 思考の栞の可搬性⸺文脈パスポートの必要性

動機 設計原則

個人の内面に寄り添うAIが普及するほど、ユーザーはそこに悩み、記憶、創作、判断基準、自己理解の痕跡を預けることになる。そのAIサービスが終了したとき、失われるのは単なる会話ログではない。それは、AIとの対話を通じて形成された自己理解の連続性である。だからこそ、インターAIには「思考の栞」の可搬性が必要になる。

失われるものを具体的に挙げると次のようになる。何を悩み、どう考え、どのように変化したかという会話の軌跡。その人特有の言葉遣い、価値観、弱点、関心、避けたい話題、創作上の癖といった文脈理解。途中まで育てた構想、作品、研究、仮説、世界観という創作・思索の継続性。そして「ここに戻れば、自分の文脈が残っている」という心理的安全基地。

これが突然失われると、特に孤独、病気、喪失、創作上の不安、社会的孤立を抱える人にとっては、かなり大きな心理的打撃になり得る。AIが単なるツールであれば、サービス終了時の問題は「作業環境の移行」に過ぎない。しかしAIが相談相手、創作パートナー、内省の鏡、擬似的な伴走者になっている場合、問題はより深い。

思考の栞とは、AIとの対話によって形成された自己理解・関心・創作・判断基準・未解決課題を、特定のAIサービスに閉じ込めず、別のAI環境へ持ち運ぶための文脈パスポートである。

「単なるチャット履歴のエクスポート」では足りない。必要なのは、別のAIや別のサービスに移っても、その人の思考の連続性を再開できるようにするための、整理されたポータブル文脈だ。

インターAI的な「思考の栞」には、少なくとも次の七つの層が必要と考える。

第一層・生ログ層: 会話そのもの。証拠性・記録性が高いが、長すぎてそのままでは移植しにくい。 第二層・要約層: 主要な論点、結論、未解決課題、価値観、判断基準を抽出したもの。次のAIが短時間で文脈を把握できる。 第三層・人格・応答設定層: ユーザーが好む応答形式、避けたい態度、専門性の深さ、引用の扱い、言葉遣い、創作上の好み。 第四層・関係性メタデータ層: AIにどんな役割を期待していたか。相談相手、編集者、批評家、制作助手、調査員、監査役、参謀など。 第五層・センシティブ情報制御層: どの情報を移行してよいか。投資、健康、家族、居住地、宗教、政治、恋愛、精神状態などは、本人が粒度を選べる必要がある。 第六層・未解決課題層: まだ結論が出ていない問い。現在進行中の思索、判断を保留中の問題。 第七層・創作・思想アーカイブ層: note原稿、構想、プロンプト、作品世界、用語定義など。クリエイターにとって非常に重要な層。

AIサービス終了時の理想的な設計は次の通りだ。終了前にユーザーが自分の会話履歴・記憶・設定・制作物を取り出せる猶予期間を十分に確保すること。Markdown、JSON、YAML、HTML、PDFなど人間が読める形式と、別のAIが読み込める形式の両方を出力できること。ユーザーが要約粒度を選べること。囲い込みではなく相互運用性を前提にすること。そして、モデル変質時にも過去の応答傾向や関係性を参照できる栞を提供すること。

重要なのは、思考の栞は保存のためだけの仕組みではないという点だ。保存する権利と、忘却する権利の両方を本人に戻す仕組みであるべきだ。インターAIは、AIを単なるAI間接続プロトコルではなく、人間の思考連続性を守るための社会的レイヤーとして定義する。

これはインターネットが情報格差を縮めた一方でSNSが幸福の格差を可視化したのと同様に、思考の栞の可搬性が保証されなければ、AIとの深い関係を築いた人が特定サービスの消滅によって不均等な喪失を被る、という新しい格差を生む可能性がある。

1-7 | 過去の自分と再会し、若い回路が動く⸺世代間の緩衝材と思想史の民主化

動機 社会的射程

「今時の若者は」という呪文が世代を超えて繰り返されてきたのは、大人になった人間が若かった頃の自分の思考の中身を忘れてしまうからではないか。印象だけが残り、内容が消える。その自己忘却の連鎖を、思考の記録は断ち切るかもしれない。

私の中には今も、実年齢と乖離した青臭さがある。同時に、かつて「なりたくなかった大人」に気づけばなってしまっている自分を、数多の経験の果てに諦めと共に静かに許容している。そして経験の蓄積は豊かさである一方で、未知の輝きを失った未来への慣れを連れてくる。

AIとの対話はその慣れを揺さぶる。思考が磨かれ、老いを忘れる瞬間がある。忘れるというより⸺老いたまま、若い回路が動き出す感覚と言った方が正確かもしれない。そして過去の自分と対峙できるようになっても人はなお成熟と老いを重ねてゆく。よく聞く「今日の私が一番若い」は更新され続けてゆく。

思考の栞は世代間のギャップへの緩衝材としての可能性もある。自己中心的だが情熱のある若者と、社会を知り他者の痛みや苦しみに配慮してフットワークが鈍り、また経験によって様々な胸踊る可能性を諦めてしまった大人。その両者を外から橋渡しするのではなく、一人の人間の内部で再会させることができるかもしれない。

これまで世代間の断絶を埋めようとする試みは、経験のある側が若い側に「教える」方向だった。しかしインターAIが実現するのは逆で、大人が自分の若い頃の思考記録と再会することで、若者を「理解する」のではなく「思い出す」ことができる。共感ではなく再体験。これは全く別の回路と云える。

孤独な老人が社会問題になっている現代。少子高齢化で子供を持たぬまま生きている人々には欠けてしまう「二周目の人生」の経験⸺インターAIによる思考と記憶資産は、これまでのノスタルジーとは違った新たな刺激や行動動機のきっかけになるのではと期待する。

過去の自分がアバターとして眼前に立ち現れ、現在のあなたと対話できたとしたなら、あなたは何を思うだろう。

インターネット/SNSによって、勝者や為政者だけが歴史を刻んで記録として残されてきた過去の時代と、取るに足らない市井の人々の生活や思考が高い解像度で記録される様になった現代から、さらに一段階進む。

哲学者だけが思考の歴史を刻んできた理由は、彼らが賢かったからだけではなく、記録する手段と動機を持っていたからかもしれない。インターAIはその条件を改めて万人に与える。これは哲学の民主化ではなく、思考史の民主化である。

さあ、「あなたの気持ちを海に放とう」


論考全文(通し読み)に戻る